学生時代のカースト制と大人になってからの劣等感の関係性について(解離性障害・境界知能の闘病日記)

学生時代のカースト制と大人になってからの劣等感の関係性について(解離性障害・境界知能の闘病日記)

昨晩、フォロワーさんのスペース(音声を使ってリアルタイムで会話する機能)にお邪魔させていただいた。
みなさん互いのことを全員フォローしてるわけじゃないし、初対面の人もいるのに、まぁなんともスムーズに話をしている。
私は聞く専門だったが、誰が喋っているか全く分からなかった。会話に追いつくのに精一杯だった。
そこに一人、可愛らしい20代の女性がいた。
彼女はTwitterでメンタルに関する有益な情報を発信している。
フォロワーさんも1万人近くいる。

私はこういう輝いている女性を見ると尻込みしてしまう。
街中を歩いていても痩せていて、背が高くて、キレイなお洋服を着ている女性を見ると、胃の底がムカムカするような感覚に陥る。
これこそ妬み・嫉み・僻みの感情である。

私自身はぽっちゃり体型で、背も低い。お金もないため服は良いものなんて買えない。
彼氏が初めて出来たのも23のとき。それまで恋愛経験など皆無で、手を繋いだことすらない。
趣味という趣味もろくになく、基本引きこもりのインドアである。
まさに喪女の代表である。

基本劣等感の塊で生きているので、同世代のキラキラ輝いてる女性を見ると、自動的に自分と比べてしまい、気分が一気に地の底に落ちる
あぁ…もっと痩せていたら、あんな可愛い服も着れるのかなぁ…もっと美人だったら今頃結婚出来てたのかなぁ…等。

さて。私のこの劣等感はいつから、何が原因で生まれたのか。
思い返してみると、私は中学の頃、いわゆるカースト制の一番上に位置する女子たちにいじめられていた
彼女たちはなぜカースト制の一番上にいるかというと、
まず見た目。美人だったり、可愛かったり、オシャレだったり、流行に敏感だったり…
次にコミュ力。歳上・歳下に関わらずすぐに誰とでも仲良くなれるコミュ力により、友達が多かった。
そんな理由で彼女たちはカースト上位に位置していた。
私は彼女たちと比べると全てが真逆だったため、学校ではカースト最下位に位置していた。
そのため、彼女たちから目をつけられた。
いじめの内容は物がなくなったり、黒板に死ねと書かれたり、まぁ、色々された笑

そんなことを約5年も受けていたため、私の自己肯定感は奈落の底に落ちた。
自分で自分を否定することが当たり前になり、劣等感の塊になった。

思春期の多感な時期に受けたいじめというのは、一生残る。
その時期に自己否定を覚えるようになると、大人になってからそれを拭うことは難しい。

27になった今でも相変わらず劣等感の塊である。
キラキラした女子たちへの苦手意識がなくなる日は一生来ないかもしれない。笑

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