大切な人に「死にたい」といわれたら

とある一文を読んだ

病気を持ちながら幸せに生きている人もたくさんいます。

それは、病気であることをどう受け止めるか、という次元の話であり、病気そのものの苦しさや不自由さが解消されるわけではありません。

『対人関係でなおす気分変調性障害』

昔友人に「死にたい」と言われた

昔、友人が「死にたい」「私は私が大嫌いだ」「自分には価値がない」と言っていました。
それを思っているぶんには構わないです。
「でもそれをあなたを大切に思っている私たちに向けて言われるとすごく苦しくなる。だからあなたはあなた自身を傷つけないでほしい」と言ったことがあります。
そしたらその友人は泣きながら怒りました。
「私はそんな生き方は出来ない。自己否定は小学生のころからあるから、もう変えられない。死にたいと言っている私ごとそのまま否定せず受け入れてほしい。あなたは私に完璧を求めている」
何も言い返せませんでした。自分が発した言葉を反省しました。
それは私の中で抱えていればよかったと思いました。
本人に「死にたいなんて言わないで」というのはご法度だなと。そこは今でも反省しています。
けど、本当に心から大切に想っている人に、「死にたい」と言われることは胸がえぐられるほど悲しく、つらいことです。
当時の私にその言葉を全て受け入れてあげられるほどのキャパが用意されていませんでした。
今多少精神的に余裕が持てるようになりましたが、それでも全て受け入れてあげられるか自信がありません。

「死にたい」と言われた時の適切な回答は人それぞれだし、すごく難しい

私の叔父は中学3年の時に自殺しました。
叔父に関することで一番最後の記憶は、私の父に「死にたい」という1本の電話がかかってきたことです。
そのとき父は「では一度ラストサムライという映画を観てください」と言っていました。
小学生だった私は死ぬということがどういうことなのか理解できていませんでしたし、なぜ叔父がそこまで追い込まれているのかも分かりませんでした。
叔父に起こっていた出来事は全て亡くなった後に知りました。
父は今でも叔父に対して涙しない日はありません。
叔父にどんなことをかけてあげられたのか、何をしてあげられたのか、もっとしてあげられたことはなかったのか、悔やんでも悔やんでも本人はもう帰ってきません。

それでも私はあなたに生きていてほしいと伝える

あの時もし私が父の立場だったらどんな言葉を叔父にかけていただろう。
きっと今でもまともなことは何一つ言えやしないんだ。
それでも私は大切な人に「あなたには生きていてほしい」と伝えることしかできません。

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